母の日の感動エピソード【母の日の贈り物】
母の日が近づくこの季節、お客様から母と娘の素敵なエピソードを頂きましたので、ご紹介したいと思います。
私の母が父の元に嫁いだのは母が24歳の時でした。
父の実家は祖父の代からの大地主であり、古い慣習が残る家でしたので、子どもにはやはり跡継ぎとなる男の子が生まれる事を望んでいたそうです。
しかし、最初に生まれた子どもは女の子、二人目も女の子、そして三人目に生まれたのが私でした。
頑固者の父は私の生まれた知らせを電話で聞いても
「男じゃなければみんな同じだ」
と言って病院には来なかったそうです。
私がまだ小学生だったある時、私は偶然その話を親戚から聞いてしまいました。
私はショックを受け、その時から父と母を少し遠い存在に思うようになってしまったのです。
毎年5月が近づくと、花屋さんにはたくさんのカーネーションや色鮮やかな花がディスプレイされ、母の日のイベントを盛り上げています。
でも、私は母の日に1本の花さえも贈ることができなかったのです。
大学生になった私は、家の近所の和菓子屋さんでアルバイトをしていました。
桜の季節も終わり、5月に差し掛かろうとしていたある日、小学生くらいの女の子がお母さんと手を繋ぎながらお店に入ってきました。
女の子は、「お母さんに大好物の美味しい栗菓子を食べてもらいたいの!」と言って、お店に並ぶ栗菓子を楽しそうに選んでいました。
女の子のお母さんは嬉しそうにニッコリと微笑んで応えていました。
そのお母さんの笑顔はどことなく私の母の表情に似ていて、私も今年は母に贈り物をしてみようかな、と思うようになったのです。
数日後、私は少し戸惑いながらも母に「母の日のプレゼントは何がいい?」
と聞いてみると、母は少し照れた顔をして「靴が欲しい」と答えてくれました。
私は母の靴のサイズを知らなかったので、一緒にお店に行き靴を選んであげることにしました。
お店で靴を試着する母の足は、私の想像よりもはるかに小さく、足に深いシワがあることもこのとき初めて知り、私は母のことを何も知らなかったことにショックを受けました。
母はそんな私の気持ちに気付いたのか、気に入った靴を見つけてニッコリと私に微笑んでくれたのです。
小学生の時、私は友達から心ないことを言われ、泣いて帰ったことがあります。
母はいつもと違う私の様子に戸惑いながらも、晩ごはんに私の大好きなミネストローネをテーブルに出し、同じ様にニッコリと微笑んでくれたことを思い出します。
きっとあの時も私は母の深い愛情に守られていたのでしょう。
母の靴を買い自宅に帰ると、母は私がプレゼントした靴を父に見せ、「いいでしょ。お父さん」と嬉しそうに何度も何度も自慢をしていました。
いつも頑固な父も嬉しそうな顔で母を見つめていました。
私は今でもその時の二人の笑顔が忘れられません。
父は昨年亡くなりましたが、母は以前と変わらず元気で暮らしています。
いつもニッコリと微笑む母の顔を見るたびに、私は今でも元気をもらっています。
母に靴をプレゼントしたその年から、私は毎年花とプレゼントを母の日に贈っています。
私にとって母の日は、母と娘との絆を感じる大切な一日になったのです。
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